昭和48年7月17日 夜の御理解
うちの信心をさせて頂くものが、いつもどんな場合であっても、金光様のお取次ぎの働きの中にあるんだという信念をいよいよ保っていかなければならない。そういう働きがここにお参りをしてくると、実感できる。そういうお繰り合わせをいつも頂いておることができると思うんです。今日もあの、一時の御祈念の後に、ちょうど二百名あまりの私はあの、お初穂をあの受けるだけで、お届けをしてありませんから、それをさっさとこう、お届け張に書かせて頂いておりました。ときにあの、今日の一時の御祈念からずっと今晩も典楽の稽古日ですから、残ってあります北野の中村さんが、「先生昨日からあの、昨夜、ここでお参りさせてもらって、福岡の由美子さんの話を聞かせてもらった。やすよが最近ずっと熱が出て休んでおるということを聞かせてもろうて、それを思ったらもう心配で心配で、夕べは眠られんように心配でございました」と、いうお届けをここに言うてきました。ほいで私は、ちょうど私がその、二百名からの中に、北やすよっていうんですね、そのめ、あの休んでおりますのが。そのやすよさんのここにお届けをし終わったところにそれが来ましたから、ちょっと初美さん、見てごらん、あのこげんにも間違いない働きの中にあるとよと、二百名から例えば、中からたった一名、北やすよさんのお届けを今ここでお届けし終わったところへあんたが北やすよさんのことを心配してきたが、例え死ぬる、例えば生きるということは別だ、おかげに、例えば自分たちが思っておるおかげになるとかならないとかとは別だ。こんなに間違いのない、一分一厘間違いのない働きの中に、いういなら金光大神おとり次の働きの中にあることなのだから、もう右とか左とかということは、もうあなたのお任せしてのおすがり、信心させてもろうて、変わったことが起きてきたらおかげと心得て信心せよと教えておられるのだから。
私はそれをとり、あの取り次がせて頂きながら、私自身も安心、初美さんもはあ、ほんなこてそげんも間違いのない、親先生のお取次ぎの働きの中にそれがあるな、たということを、芯から分かったという感じです。私自身もそれを感じ、私自身もそこんところを信じ、金光様のお取次ぎの働きの中にある、そういう一分一厘の間違いのない働きというけれども、その働きをここではね、そういうふうにして見せて頂くことができよる。もうここのところをね、あの私はお互い、んー、もっともっと深く分からなければいけない。合楽に御神縁を頂いておるということ、金光様のご信心をさせて頂いておるということ。もう日々が、自分たちには気が付かないけれども、そのお取次ぎの働きの中に、右左のことがあっておるんだと。それが、例えば変わったことであればあるほど、信心して変わったことが起きてきたら、あー、これはおかけぞと頂かせてもらえるような、信心をね、頂かなければいけない。
今日は朝の御祈念の後に、吉井の熊谷さんがここでお届けをされますのに、ご長男ののりおさんが、高校、そして大学に進学というので、もうとにかく大学におかげを頂かしてもらうもう、あの時分の浮羽高校で、えー二番とくだらん成績でした、先生方も、その大学のは試験はもううけあうようにして、できなさることを、その言うておられたのが、あー、一年、二年、三年間かかった。ですから、もうのりおのー大学へのあれができるまで、とにかく試験に通るまではお日参りをというて、一生懸命させて頂いて、その次々と、どうしてこれは神様はこ、この親の切なる願いを聞き届けてくださらんだろうかと、いうてある時むつやの、今の信司さんのお母さんです、あの清子さんに、お話をしたら、清子さんが先日そのお話を親先生がしておられたが、本当に、もうそれこそ手を叩いて、もうそれこそヒヤヒヤよかとこをとおりよる、熊谷さんがよかとこをとおよるというて、お話になっておりましたよということを清子さんに聞かれた。そん時は何がヒヤヒヤか、何が有り難いのか分からなかったけれども、今日た、たってみて、おかげを頂いてみて、初めてなるほど自分の思うようになっていないことがおかげであったというように、分からせて頂きますというお届けを今日しておられました。ね、ですからお取次ぎを頂いての働きというものは、自分の思うようになるということだけがおかげじゃない。ね、それ、は、反対のことになっておっても、神様としては、さ、そこが一番大事なところ、そこがそこを辛抱しぬいてとおるところが、有り難いことぞと心の中では神様が思うておられる。そういうことを私共には分からない、けれどもお取次ぎを頂いてです、ね、起きてくるすべての事柄がです、よいこと悪いこと、もうすべて、おかげの方にしかなってないという思い込みができる、それがそういう思い込みを、実感させて頂けれるような働きがです、私は合楽にあっておる、だから信心が続けられるんだと思うです。
ね、今日中村さんの、姪にあたりますやすよさんのお取次ぎのそのこと、ね。昼からおって、えー御祈念をしたり御理解を頂いたり、それでも心が治まらない、それをまたここにお届けにみえてその、夕べからの悩みをお取次ぎ頂いたら、ちょうど私がそのたくさんの中から、北やすよさんというお届けをしたばっかりのところへ初美さんがここにお願いに見えられた。ちょっと初美さん見てごらん、こんなに間違いない働きの中に、ね、熱があるとか熱がないとかということもあっておるのだよと。ね、だからの神様のそういう間違いのない働きの中にあるのだから、なるほど信心しておって、ね、変わったことがおきてきたら、有り難いと心得て、信心ができれるところまでです、神様も、ヒヤヒヤとみなさんならば、ならこちらの方も神様のご都合に間違いなしと受けて、た、たちあがった信心をさせてもらわねばならんということが分かりますですね。
お取次ぎの働きの中に一切があっておる、ね、その働きがあっておるという事実をね、ここでは見たり感じたりすることができる、と、例えば、あー今日日田から参ってきた、方の話じゃないですけれども、ね、心に心配で心配でたまらないことが今日の御理解の中にでておる。ほんっとに神様の間違いのない働きをそのようにして受け止めさせて頂くところから、ね、行きがけの不安が、帰りは安心だけではない、喜びをもって帰ることができる、お取次ぎの働きの中にいつもある私たち、というその思いというものをね、いよいよそれを強いものにしていくというところに不安のない、信心生活ができると思うですね、どうぞ。
池尻てるか